本当に日々のこと

2023年は自分にとってデジタル元年より良い日記の管理方法を模索しながら日々の出来事をまとめます

数値化の鬼 安藤広大

世の中的に仕事の捉え方が変化していく中で、休みが増えたり働く時間が短くなったりと環境的によくなったというよりも緩くなった(なり続けている)と感じる。

 

ゴリゴリに残業して睡眠不足で過労死なんかが問題になっていた私の子供の頃とは比べ物にならない。会社で寝起きして家に帰らないなんてことも普通にあった気がする。

 

では、環境が緩くなったことは我々にとってプラスなのだろうか、働く日数が少なくても、働く時間が短くなろうとも会社は成果を求めてくるわけで、緩くなったからといって会社の成長とは関係がない。

 

むしろ環境が緩くなったおかげでより効率よく成果を出さなければならなくなったわけだ。一部働かないおじさんが存在し、定年までえっちらおっちら会社に居続けるわけだが、もうそんな時代でもなくなりつつある。

 

実際私の勤めているベンチャーもいつでも休んでいいよ。土日仕事して平日休んだ方がリーズナブルだという考え方なので、好きにさせてもらっている。でも、成果を出す出さないはそれとはあまり関係ない。

 

とにかく成果を出さねばならないのだ。私もそのうちベンチャーを始めるつもりだが、パフォーマンス悪い奴は本当にいらないと思ってるし、速攻やめてもらうと思う。

 

自由度が増したからこそ自己管理が大切で、行動の管理が求められる。そういう意味でこの本が売れているのかなと思うと納得する。

 

数値化の鬼1

 

数値化の鬼2

 

数値化の鬼3

 

 

 

開眼も閉眼もせずただグルグル回る

ゴルフ好きの作家さんで「ゴルフは閉眼開眼また閉眼」的なタイトルの本を読んだことがありますが、要するに開眼は勘違いで迷走し続けるスポーツを表現されておられるのであろう。

 

実際「ゴルフは上手にならなくてもいい、楽しければいいのだ」というふうなことも耳にするが、仮に私が魔法使いであなたに「ゴルフが上手くなる魔法をかけてあげようか?」と聞くと絶対にYESと答えるはずだ。

 

上手くならない理由はたくさんあるが、上手くなる理由はどうであろう。アプローチ、パターとスコアメイクに直結するところに注力するのであろうか?

 

実際プロになった方はどういうプロセスを経てプロになったのであろうか。当然全ての総合的な技術を持ってしてプロになれるのであろうが、誰しもが初心者でありそのプロセスは我々と変わらない。

 

練習量・・・だけではない。何をどのように?突き詰めていったものだけが上手くなるスポーツでその挑戦は果てしない。だから上手くならないことを諦めて楽しかったらいいといってしまう。

 

私は諦めてもないし、諦めるつもりもない。

 

ただ、私は今日もボールが曲がる日々を過ごしている。

GQ 「THE SPORT ISSUE - MENTAL REST」

アスリートという高い次元ではなくともスポーツをしている人ならメンタルトレーニングの大切さはわかっていると思う。

 

メンタルが落ち込むとパフォーマンスも落ちる。それはスポーツだけでなく、ビジネスでも同じかもしれない。

 

私の場合長期的にどうメンタルを整えるかというテーマよりも、やってしまった瞬間の落ち込みを引きづらないようにするにはどうすべきかが非常に興味がある。いわゆるレジリエンス的考えであるが、高いメンタル力を持つことでそのレジリエンス的要素も含まれていくのかもしれない。

 

失敗にも色々な考え方があって、「失敗したあと○○する」「失敗は想定内としておく」「失敗をどう受け止めるか」など一つの出来事に対してのアプローチも様々なので、周辺テーマを勉強することがとても大切なのではないかと思う。

 

数学の知識は数学を解くだけではなく、物理でも使うし色々に応用できる。みたいな感じで。

 

もしかするとなんで失敗するかよりも、なんで成功するのかを考える方が正解なのかもしれない。

失敗のメンタル状況よりも成功のメンタル状況についてもっと深掘りしてもいいかもしれない。私の場合どうしても失敗からの学びを重視しているからアプローチを変えるのも一つ重要な手かもしれないと感じます。

 

GQ1

GQ2

GQ3

 

 

 

 

 

超人ソリューション 糸井嘉男

筋トレって万能だよねって言われたら、大体の人は「え?」ってなると思いますが、筋トレを愛している人の多くはこの考え方と思われる。

 

マイノリティーの中のマジョリティーなんだかややこしいですが、筋トレを愛している連中独特の感性が存在していることは確かである。なんでそんなことがわかるのか??なぜなら私もだからである。

 

万能かは別にしてある程度のトレーニングはとても大切だと思う。人間誰しもが年をとるわけで衰えてくるのは避けられない。

 

自由に動けて楽しい人生を送るためには、今から何かをすべきである(年齢は関係ない)と思っている。病気になって初めて健康のありがたさがわかるように、動けなくなってからでは遅い。

 

とはいうものの、目標もなく重たいものを上げ下げするのはどうも・・・・という気持ちもわからなくもない。

 

年老いてからどうなりたいかなんて人に言われることではないが、迷惑をかけず死んでいきたいものである。

 

さて、筋トレ行ってきます!

 

 

超人ソリューション1

鉄人ソリューション2

超人ソリューション3

ゴルフの準備運動的な役割として参考になりました。たまたま、とあるゴルファーのインスタを見ているとそのあたりのルーティンをUPしていたので、参考にさせていただきました。

 

興味のあるものはどうも目がいきますね。

 

 

 

悪魔の傾聴 中村淳彦

ノウハウ本なので実際に読んでどこのポイントを重視するかはその人次第と言って仕舞えば元も子もないが目的は「信頼の爆上がり」である。

 

こっちが信頼しているから向こうも信頼してるなんて勘違い。でもそれが事実なのであれば、向こうは自分を信頼してくれているということになる。

 

すぐに実践できるのも大切なポイントですね。

 

 

 

Yさんのアドバイス

左で引っ張りたいが勝ってしまい左一軸に近い動きになっていた。

スムーズにするにはテイクバック始動時に少しだけ右に乗ってくるイメージで良い。

 

カッツリ乗らなくとも良い。

 

「教養としてのラテン語の授業」ハン・ドイル

当たり前ではあるが、本を読んでいたら学びがある。しかしそれは書いている側の趣旨と読んでいる側の受け方とに少なからずズレがあるのではないかと。

 

つまり、本書を下記スライドで自分なりにまとめてはみたが、他にもここでまとめている趣旨とは違うことも感じてたということである。

 

私の記憶をする限り韓国の方の本は読んだことがなかったと思われる。翻訳されている海外の本のほとんどがアメリカ、ヨーロッパであってそこで書かれている文章から日本との文化の違いは感じている。

 

そういう意味では当たり前だが、韓国の方の書かれた本もそういう韓国文化的要素が多少含まれていて、それに新鮮さを感じたという話である。文化の良し悪しを言いたいのではなく、あまりにも韓国のことについて無知であると気付かされたわけで、知り合いにも韓国の方もそれなりに何人もいるのになぜ今まで文化的要素に触れていなかったのか謎である。

 

図らずとも文化や社会について書かれた本であったがゆえにそういったまだ知らない世界の文化や社会を学ぼうと思ったわけであります。

 

「教養としてのラテン語の授業」ハン・ドイル①

「教養としてのラテン語の授業」ハン・ドイル②

「教養としてのラテン語の授業」ハン・ドイル②